何者かになりたくて、何かに追われているあなたへ
25になって自分の人生をよりリアルに感じるようになった。
そんな人生のリアルをまだ受け入れられない自分がいる。
何者かになりたい、そういって夢を語っていた自分はどこに行ったのか。
見えない何かに憧れて「自分は人としてこうありたい」「世の中がこうあってほしい」と好き勝手に語っていた。
ある程度、夢を持って会社に入ってみたものの、目の前のものをこなすことに精一杯で、気づけば時間だけがすぎている。そこには、あの時に見た夢やいだいた憧れは一切ない。ただ、ミスしないよう、問題が発生しないよう、ひたすらに仕事を裁くだけ。(裁けているのかも怪しい)
就職活動期には、”自分のできることややりたいこと(社会貢献的な意味合いで)を、会社を通して最大化する”なんて言葉を聞いて面接のモチベーションにしたりしたが、そんなもんじゃない。ただ、会社の目標のためにその一員として与えられた仕事を淡々とこなしていく、その中でたまたま結果が出れば、よりレベルの高い仕事を与えられ、それを淡々とこなしていく。この繰り返し。
その日々の中で”自分のできることややりたいこと”を実感するのって至難の業すぎないかと最近感じるようになった。(社会人4年目の秋にしてやっと…)
※ここまでで補足しておきたいのは、あくまでこれはぼくの場合の話であるということ。就職活動を通して、自分のできることややりたいことと、仕事をマッチさせて、会社で生き生きと働いている人はたくさんいる。
自分に何かできることややりたいことって本当にあったのかというと、「正直、何もなかった」んだと気がついた。
できることって、なんか特筆すべきスキルがあることで可能なこととか、自分の性格や特性上可能なこととかって意味になると思ってて、スキルをつけてできるようになればいいってだけでもないなと。
自分に何かできることややりたいことが何もないっていうと、危機感持った方がいいよ的な風潮があるし、挙句の果てにはZ世代という皮肉めいた括り方をされることがあるような気がして、そんな見えない何かに追われてとりあえず就職して、とりあえず働いている自分がいた。(他責しているつもりはないので悪しからず)
自分にできることややりたいことは何もないこと自体に折り合いをつけてやっている人もいる。自分は折り合いがつけられていない、ただそれだけ。
折り合いがつけられないから、不満や不安を感じている。そして、何者かになりたいと、また余計なこと(社会生活において)を考えている。でもこの感覚は素直な自分の感覚で、社会にとっては余計なものかもしれないけれど、自分にとっては大切なもの。
自分にできることややりたいことは何もないけれど、ただ何者かになりたいだけの自分がいる。何者かになりたければ、なってやればいいじゃないか。自分にできることややりたいことは何もないけれど…から始まる自分の人生もありじゃないか。
自分の人生がよりリアルに見えてきたからこそ、本当の自分の気持ちや考えが素直に表に出てくるようになったなと感じた今日このごろ。
本当の自分の気持ちや考えを抑えたことに、この先、後悔がないように生きていこう。
2024/11/11(さあ、ブロガーとして独立を夢見て頑張るぞ)