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自分で決断することをサボるんじゃない

k2m23

こんばんは                                        今宵は華金、帰りの新幹線からお送りします。                                         

「相談したいことが何か分からない」とこんな言葉を上司に言われた。社会人4年目にもなって、“ああ、情けない”と自分に恥じらいを覚えた。相談しなければと感じていただけで、相談する中身についてまったく考えていなかった。これでは、相談相手の時間を無駄にしてしまうし一緒に仕事のしづらい人間になってしまう。「ある案件の対応方針について、関係先と私の意見に乖離がある。関係先はAと考えているが、私はABと考えている。ただ、関係先のAという考えには一理あると思うので、AABの考えでものごとを進めようと思うのだが、ご意見をいただきたい」これなら分かると思うが、「このAABの進め方についてご意見をいただきたい。」完全に思考停止だった。

背景を全てすっ飛ばしてしまった。例えるなら、板前が握った寿司を出して、お客さんに「この寿司の作り方について、ご意見をいただきたい。」というようなものだろう。

日々押し寄せる案件に飲み込まれて、とにかくその日の案件はその日に終わらせようと意気込んでいたら、案件をこなすために答えだけを求めてあとは突き進むのみと完全に思考停止状態のゾンビソルジャーと化していた。相談するにはそれ相応の考えというものをもって来いと、答えだけ求めるなと、自分ならそう思う。上司は寛大だった。相談したいことを考え直すチャンスをくれた。

金曜日だから、今日は気を抜いてゆるく1日時が過ぎるのを待とうと、そんな気持ちでいた矢先だった。とにかくスッキリして金曜日を迎えるために、今日の案件は今日中に終わらせよう。おそらくその相談にいいかげんな気持ちが出ていたのだろう。新天地に来て2ヶ月が経過しようとしており、慣れてきたこともあってか、とりあえずこなすことに頭がいっていた。

「相談したいことが分からない(答えだけを求めていないか?)」という問いかけで、自分自身がハッとさせられた。自分では何も考えずに上司に答えを求めようとしていた。自分自身で決断をして答えを出すことをサボっていた。

最近「決断疲れ」という言葉を耳にするが、決断をしなければ人は動かない、決断をしなければ人生は切り開けない、「決断に疲れた」という気持ちもわからなくもないし、決断をしなくてもいいところは自動化できればそれに越したことはないと思う。ただ、全部を全部自動化してしまうのではなく、物事に応じて、この決断は自動化してもよいか否かの決断はできるようにしておくことが大切なのではないだろうか。

自分で何かを決断する、それだけ負荷かかるし責任の大きなことではあるが、決してサボってはいけない場面が多々あるのだと心に刻んだ。

2024.5.17

ABOUT ME
こばやし まさひと
こばやし まさひと
ブログを生業とし、 葛藤と合理化を繰り返す日々からの脱出を目指す25歳。
高校までを三重で過ごし、大学を機に京都へ出て一人暮らしを開始。大海を知る。
大学はなんとか卒業し、就職を機に栃木へ出て社会人生活を開始。大海を知る。
現在、社会人4年目、栃木住まい、東京勤務を開始。大海を知る。
僕が出会った人、言葉、価値観について僕なりの考えを発信します。
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